2010.04.07〜04.13
82〜90歳8人が伝統守る
鯨井の寅薬師が御開帳
本尊に念仏する福田素圓住職ら |
80歳を過ぎてなお元気に経を唱える「念仏講」の女性たち |
多くの貴重な文化・伝統が息づくまち川越にあって、生活様式や趣向がめまぐるしく変わる中で12年に1回しか開かれない伝統行事をどう後世に伝えていくか──。後継者不足から存続が難しくなりつつあるものを、自治会が中心となって伝統を守るために努力しています。
12年ぶりに寅年・寅の月・寅の日となった7日、鯨井の薬師堂で「寅薬師の御開帳」があり、住民や訪れた参拝者らが境内に張られた「お手綱」に触れて無病息災や長寿などを祈りました。御開帳は同地区女性の集まり「念仏講」のメンバーが中心となり、江戸時代から伝統を守り続けてきたものです。(御開帳は13日まで。誰でも参拝できます)
鯨井の薬師堂は札所巡礼の「中武藏七十二薬師」第十五番札所として知られ、八坂神社境内の薬師堂には薬師如来や十二神将、本尊の寅が祀(まつ)られています。
御開帳のこの日には境内に角塔婆が立てられ、薬師堂内の本尊と2本の「お手綱」でつながり、これに触れることで本尊と仏縁が結ばれて願いが伝わるとされています。
12年に一度の寅薬師で薬師堂に集い、本尊に念仏する鯨井自治会の役員ら |
同地区ではかつて、ほとんどの女性は家に嫁を迎えた時点で「念仏講」に入会。毎月3回(8日・12日・22日)、薬師堂に集まって経を唱えていました。
「昔は、楽しみは薬師様しかなかった」(高山たけさん・89)といい、"お姑(しゅうとめ)さんの寄り合いの場・社交場"として愛されていましたが、「かつては大勢いた」というメンバーも時代とともに激減。
現在は、15年前に入会した最高齢の真仁田みねさん(90)から、7年前に入会した最年少の岩田信子さん(82)を最後に、8人で念仏講の伝統を守り続けています。
メンバーは高齢化しましたが、「農家で鍛えた体だから」と笑って話すなど、皆かくしゃくとした様子。それでも、2〜3年前からは月3回の念仏講を8日と22日の月2回に減らしました。
こうした事情から、12年に一度という祭典の段取りを知る人は地区内でも少なく、経験者は念仏講のメンバーでも4人だけ。
前回(12年前)からは、御開帳の段取りや運営を鯨井の祭典委員会が代わって受け持つようになりましたが、今回の運営に当たった賀山勉委員長も「前回の資料も写真が残っているだけで、詳しいことは分からない」と話すなど、数人の断片的な記憶と伝承を基に"手探り"での開催となりました。
挨拶する賀山勉・鯨井祭典委員長(右) |
薬師堂の前で記念撮影する鯨井の皆さん |
長寿を祝い乾杯する真仁田さん(左)ら |
満開となった桜が境内に舞う中、午前10時から念仏講のメンバーや自治会役員ら約20人が薬師堂内に集まり、近くの吉祥山長福寺から福田素圓住職らを招いて、約45分間にわたり読経。まちの平穏や皆の健康などを祈願しました。
福田住職の法話に続き、最長老の真仁田みねさんが「これからも皆さん、身体に気をつけて1年でも長く生きて、またこのようなことができますように」と挨拶。皆で食事しながら、酒やお茶を酌み交わして歓談しました。
毎年7月の夏祭り「天王様」や万作踊りなど、地域が一体となって伝統文化の継承に活動している鯨井地区ですが、12年に一度の祭典を後世に伝えていくのは難しく、参加者からは「念仏講のメンバーが行うのが本来の御開帳ですが、将来は自治会主催のものに変わっていくのかも」との声も。
念仏講の代表を務める早川ふく子さん(83)は「昔は御開帳の時には桑の根をたいて暖をとりながら、皆が1週間泊まり込んで念仏を唱えたり、茶を飲んで話したりしていました。嫁さんや娘たちが、村で採れた米や野菜・布団などをリヤカーで運び込んだんです」といい、「時代とともに趣味が多様化し、念仏を唱える人も少なくなりました。入会を勧めてもなかなか集まらなくて…」と話していました。
(写真は鯨井の八坂神社・薬師堂で)
御開帳され、境内から伸びた仏縁のお手綱が結ばれたご本尊の寅 |
薬師三尊を守護する十二神将(祭壇左側) |
薬師三尊を守護する十二神将(祭壇右側) |
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