2010.03.29
郷土の名匠・野本民之助の彫刻
成田山川越別院に遷座
市文化財保存協会が案内板設置
お社脇に設置された案内板前で記念撮影する娘の加代さん(前列左から3人目)ら |
幸町の山車彫刻「翁」などを手掛けた川越の名匠・野本民之助の作「稲荷社殿」が、久保町の成田山川越別院(石井照典主監)に遷座され、29日に市文化財保護協会(吉野郁男会長)による案内板が設置されました。
野本民之助義明(本名・市川民次郎、1892〜1928)は熊谷市に生まれ、結婚してからは現在の川越市連雀町に移り住んで活動。幸町の山車彫刻(1919年)のほか、成田山川越別院の本堂や山門の彫刻を請け負うなど数々の名作を残しましたが、結核のため36歳の若さで亡くなりました。
お社に手を合わせる娘の加代さん(左)と孫の恵子さん |
若しころの野本民之助(1892〜1928) |
民之助は30歳のとき、日清紡績川越工場の屋敷稲荷社殿の彫刻を制作。「厳しい戦局の時代・さらに戦後のめまぐるしい変ぼうの時代から今日まで、さまざまな出来事をご加護くださった大明神で、工場職員一同は参拝を欠かしたことがありません」(工場責任者)というほど愛されてきました。
昨年、同工場が閉鎖されることになり「名匠・民之助の円熟期の作品を廃棄するのは惜しい」と、仙波町に住む一人娘の小坂部佳代さん(86)に返還されることになりました。
お社の右に設置された案内板 |
お社を残し、多くの人に父の作品を役立ててもらおうと考えた佳代さんは、市文化財保護協会の吉野会長に相談。吉野会長が遷座先を探しましたが、仏様を祀(まつ)る寺院で神様を祀るのは簡単ではないため、なかなか決まりませんでした。
困った吉野会長は「民之助の作品が多く残されている成田山別院がふさわしいのでは」ということで、小仙波町出身の小野澤康弘市議に相談。石井主監と親しかった小野澤さんが仲立ちとなって話を進め、主監の快諾を得て昨年12月21日に遷座されました。
市文化財保護協会では「せっかくの作品も説明がなければ参拝者に分からない」と、遷座したお社と民之助について説明した案内板の設置を決め、29日にお社奉納者の佳代さんと孫の恵子さん(64)や関係者立ち会いの下、境内の稲荷神社脇に備え付けました。
佳代さんは「父は私が5歳のときに亡くなったので、はしゃぐたびに『静かに』としかられた記憶しか残っていません。近年、父の残した彫刻を一つひとつ尋ねて、その仕事について詳しく知りました。私は跡を継げなかったので、こうして父の作品が残されていくことは感謝に堪えません」と話し、娘の恵子さんと並んでお社に手を合わせていました。
(写真は久保町の成田山川越別院で)

左扉の受け「降り龍」 |
左側面の胴羽目「鳳凰と松の根元に書を読む仙人と童子」と脇障子「三条の刀工宗近」 |

日清紡績川越工場から成田山川越別院に遷座されたお社の左側面 |

右扉の受け「昇り龍」
|
右側面の胴羽目「鳳凰に乗る天女と仙人」と脇障子「小鍛治の刀を持つ神」 |

左側面の妻飾り「鍵をくわえる狐と瑞雲」 |
お社正面の蟇股(かえるまた)「宝珠を持つ龍」 |

蟇股(かえるまた)裏面に残る野本義明の銘 |
|