2009.11.14〜15

640年前の川越、片鱗見せる
国指定史跡「河越館跡史跡公園」が竣工し一般公開

河越氏の屋敷地内にあった霊廟または納骨堂とみられる塚(北西方向から南東方向を望む)
河越氏の屋敷地内にあった霊廟または納骨堂とみられる塚(北西方向から南東方向を望む)

40年に及ぶ計画・調査・発掘が結実
 国指定史跡として整備が進められていた上戸の「河越館跡史跡公園」(約1万3,300平方メートル)が14日に竣工し、翌15日には一般公開されました。
 1969(昭和44)年に史跡公園の国指定に向けた検討開始以来、約40年に及ぶ計画・調査・発掘などを経て史跡公園として初めて形になったものです。
中心となり河越館跡の調査・発掘に携わった故・小泉功さん=昨年11月、旧・川越織物市場で
中心となり河越館跡の調査・発掘に携わった故・小泉功さん=昨年11月、旧・川越織物市場で
 調査・発掘には、市文化財保護審議会長で元・県立川越高校教諭の小泉功さんを中心に大勢の人が携わってきたほか、地元の上戸・鯨井地区周辺に暮らす住民の理解と協力がありました。
 残念ながら小泉さんは去る9月1日、公園の開園を待たずして亡くなりましたが、最後まで出土した資料の分類や研究を続けていました。

残る発掘調査、将来に託す
 これまでの遺跡発掘調査の中で数多くの貴重な資料が出土したほか、歴史や人々の生活を知る手掛かりが得られていますが、発掘調査できたのは全体の一部。
 館の本体は現在の上戸小学校の辺りにあったのではないかとみられており、敷地はかつて今よりもっと東側を流れていたと推測される入間川の際にまで広がっていたとの見方もあります。これらの解明は今後に待たれますが、現状で進められる発掘に区切りをつけて公園整備されました。

鈴木唯史・文化財保護課長(右から2人目)の説明を聞く参加者
鈴木唯史・文化財保護課長(右から2人目)の説明を聞く参加者
資料展示室では文化財保護課の岡田賢治さん(左)が解説
資料展示室では文化財保護課の岡田賢治さん(左)が解説
案内板を見ながら同課の大澤建さんに質問する参加者
案内板を見ながら同課の大澤建さんに質問する参加者
文化財保護課の平野寛之さん(右)の説明を聞く参加者
文化財保護課の平野寛之さん(右)の説明を聞く参加者
館の主・河越氏とは?
 この場所に居を構えていた河越氏は、平安時代末(12世紀後半)から南北朝時代(14世紀中ごろ)にかけて、武藏国で有数の勢力を誇った武士。
 1184(元暦元)年、河越重頼の娘は源義経の正妻として嫁ぐなど隆盛を極めましたが、後に義経と兄・頼朝との仲違いの際に義経に近い者として1185(文治元)年に滅ぼされ、一時の勢力を失いました。

 鎌倉時代中期以降、子孫・経重のころには勢力を回復しましたが、1368(応安元)年に鎌倉幕府に反旗を翻した平一揆(へいいっき)で敗れ、館を失うとともに政治の表舞台から姿を消しました。

4つの時代遺跡が混在
 入間川の水利・水運の利便性が高いこの地は、河越氏が去った後も館内の常楽寺を中心にまちとして栄えたほか、15世紀末には山内上杉氏が、16世紀には大道寺政繁氏が川の擁壁を活かし陣所を構えるなど、要所として活用されてきました。
 このため、4つの時代の異なる遺跡・出土品が混在していることも特徴の一つです。 

開園初日に市民ら700人が見学
 一般公開された15日に行われた見学会「オープニングガイド」では、市文化財保護課の全職員11人が史跡公園を訪れた市民や問い合わせに対応。うち6人が史跡の要所で解説にあたりました。
 この日訪れた人は約700人に上り、その都度いくつかのグループに分かれて順に見学。歴史や考古学に関心の高い人が多く、解説する職員に次々に具体的で専門的な質問をしていました。

出土品について岡田賢治さん(左)の説明を聞く参加者
出土品について岡田賢治さん(左)の説明を聞く参加者
東屋のガイドパネルで河越館の地理的な価値を確認
東屋のガイドパネルで河越館の地理的な価値を確認
狭山茶の起源とされる「河越茶」に近い在来茶などを植栽
狭山茶の起源とされる「河越茶」に近い在来茶などを植栽
絵画資料を基に復元された1.2m四方の井戸跡
絵画資料を基に復元された1.2m四方の井戸跡
上戸小の校庭西側で一部が見つかった掘建柱建物跡
上戸小の校庭西側で一部が見つかった掘建柱建物跡
掘建柱建物跡や納骨堂・井戸や堀跡
 今回整備された史跡公園で再現された遺物は、河越氏の屋敷地内にあった建物の一部を平面的に表した「掘建柱建物跡」、絵画資料を基に再現した「井戸跡」、屋敷の周りを囲んでいた「堀区画」、霊廟(れいびょう)または納骨堂とみられる「塚状遺構」、山内上杉氏の陣所堀跡」など。

狭山茶の起源「河越茶」の産地か
 また、狭山茶の起源とされる銘茶「河越茶」の成立と振興に河越氏が深く関わっていたと考えられることから、園内には近い品種の在来茶ややぶきた茶など数種類のお茶が植栽されており、「市では将来、1本を巨木に育てて公園のシンボルにしたい」とも考えているといいます。

資料展示室以外は毎日公開
 河越氏が去った1368年から数えても640年前の川越の歴史・文化の片鱗を知ることができるこの公園は、入場無料で午前9時から午後6時まで開園(10月〜3月は午後5時まで)。上戸小学校の教室を借りて開設している資料展示室は日曜日のみ見学できます。
 なお、園内は火気厳禁で禁煙。自転車・バイクの乗り入れや遊具持ち込みはできません。駐車場(無料)は50台分。

(写真は上戸の河越館史跡公園で)


前日には現地で竣工式
 開園に先立ち、前日の14日午前10時から史跡公園内で竣工式が開かれました
 式は川合善明市長、新井金作・市議会副議長、小宮山泰子衆院議員、上戸小6年の石井こうへい君と内野ゆうかさんによるテープカットで開式。

「郷土学習・憩いの場として活用を」
 あいにくの雨天のため、記念式典は上戸小体育館に会場を移して行われ、主催者を代表して川合市長が「この公園は、幾多の攻防の歴史を秘めた貴重な史跡として昭和59年(1984年)に国の指定史跡となった。今後は市民と協働したイベントなどを考えていますので、郷土学習・憩い・活動の場として大いに活用していただきたい」と挨拶しました。
竣工式でテープカットする川合市長(中央)ら=史跡公園で
竣工式でテープカットする川合市長(中央)ら
=史跡公園で

開式の言葉を述べる大野英夫副市長

式辞を述べる川合善明市長

事業経過を話す新井孝次教育長

来賓挨拶する新井金作副議長

来賓挨拶する小宮山泰子衆院議員

来賓挨拶する山根隆治参院議員

来賓挨拶する福永信之県議

閉会の言葉を述べる石川稔副市長

記念式典の司会を務める有山達・市教委教育総務部長

アトラクションの司会を務める伊藤明・学校教育部長

京姫哀歌を紹介する吉田捷次郎・上戸芸能保存会長
 

「大勢の市民の理解・協力のたまもの」
 続いて、新井孝次教育長がこれまでの事業経過について報告。
 「昭和44年(1969年)の宅地造成の動きから始まり、史跡全体を保存する方向へ向かうまでに4年。発掘調査を経て地権者の皆さんのご理解を頂き、国指定になるまでに12年。現状の広域市化に至るまでに21年。第一期整備の方向が示され、工事が完了するまでに4年。合計41年という長い歳月を要したが、竣工式を迎えることができたのは地権者をはじめ多くも皆さんの協力のたまものと感謝します」と話しました。

 この日は166人の来賓が招かれましたが、代表して新井副議長、小宮山衆院議員、山根隆治参院議員、福永信之県議が祝辞を述べました。

住民らがアトラクションで祝う
 記念式典に続き、上戸小学校の6年生全員による「崖の上のポニョ」など3曲の合奏披露、上戸芸能保存会(吉田捷次郎会長)が義経に嫁いだ京姫をしのんで作ったという「京姫哀歌」の歌と踊り披露、鯨井万作保存会による伝統芸能の万作踊り披露など、地元住民によるアトラクションが開かれ、満場の出席者から盛んに拍手が送られていました。
(写真は上戸の上戸小学校体育館で)


アトラクションでは上戸小6年生全員が「崖の上のポニョ」など3曲の合奏を披露
アトラクションでは上戸小6年生全員が「崖の上のポニョ」など3曲の合奏を披露
上戸芸能保存会の男性陣が「京姫哀歌」の歌と踊りを披露
上戸芸能保存会の男性陣が「京姫哀歌」の歌と踊りを披露
上戸芸能保存会の女性陣が「京姫哀歌」の歌と踊りを披露
上戸芸能保存会の女性陣が「京姫哀歌」の歌と踊りを披露
鯨井万作保存会のメンバーが担いだ獅子頭が管内を駆ける
鯨井万作保存会のメンバーが担いだ獅子頭が管内を駆ける
伝統の万作踊りを披露する鯨井万作保存会の皆さん
伝統の万作踊りを披露する鯨井万作保存会の皆さん

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